家族に差し込んだ一筋の光 No.3

 神様と出会う前までの人生はとても空虚で、神様という存在自体信じておらず、死んだ後もただ無になるだけだと思っていました。いつも心が空っぽで、子供ながらに漠然とした不安と恐れを抱えて生きていました。そんな中でも、神様は「千恵子を取り戻す計画」をすでに始めてくれていました。

 始まりは、私が中学生くらいの頃でした。ニュージーランドから帰ってきたばかりの姉の綾子と部屋で過ごしていると、いきなり「ちーちゃん(千恵子)、神様は本当で、ちーちゃんのことを本当に愛しているんだよ。髪の毛の本数も全部数えられて、ちーちゃんのいうこと全部優しく聞いてくれて、ちーちゃんのために死んでくれたくらい、神様はすっごく愛しているんだよ!」と言われすごく混乱したのを覚えています。それまでの人生、無神論者だった私は、まず神様なんて考えたこともなかったし、信じたこともありませんでした。なので、いきなり「神様は千恵子を愛しているんだよ」と言われたのがとても衝撃的で、「神様なんているわけないじゃん、おかしくなっちゃったの?」と心の中で思ったほどです。それに長年病気を患ってきていた姉を見てきていたため、「神様なんて言ってるけど、病気が悪化しちゃったのかな」と怖くもなりました。

 しかし、今回の綾子は何かが違うな、とも感じました。今までは死んでいたような魂が、今は生き生きしているような感じがして「綾子に何が起こったんだろう」と思いました。そして、姉は神様の愛について話してくれた後、私のためにすごく一生懸命、汗も流れるような情熱的な祈りをしてくれたのを覚えています。

 綾子はその日からよく神様の愛について語ってくれました。最初は全く聞く耳を持たなかった私も、綾子の神の愛に対する熱意に心を打たれ、「そんなに愛してくれる存在がいるんだ」と思い始めました。行く気のなかった教会も、少しづつ行ってみるようになりました。教会に行き、礼拝の曲を聞くたびに驚かされるのは心に感じる熱さでした。たまらず綾子に「この胸が熱くなる感じは何?なんで私泣いているの?」と聞きました。すると彼女は「神様がちーちゃんの心に触れているんだよ!」と言ってくれ、なぜかとてつもない愛を感じたのを覚えています。

 また、高校3年の大学受験を控えていたある日、将来に莫大な不安を感じ「もう抱えきれない」と綾子に相談したとき彼女はこう言いました。「神様は千恵子の不安を全部取り去ってくれて、いつもちーちゃんの行く道を導いてくれるんだよ。神様の計画があるから大丈夫だよ」と。なんだか不安がすっとなくなった気がしたのを覚えています。その後、受かると思ってもみなかった大学に合格し、「本当に神様はそこにいて、私の願いを聞いてくれるんだ」と思いました。しかしその時点では神様の存在は信じているものの、自分の人生に受け入れるほど心はまだ向いていませんでした。

 そして大学1年生のころ、心が引き裂かれるような経験をしたときに助け舟を出してくれたのはエブリネーションニュージーランドからの姉の友達である、シルビアでした。(彼女は当時日本に研修に来ていて、私達の家に一緒に住んでいました。)私のすべてを捧げていたものをなくし、涙がいつまでたっても止まらず、ただ癒しが欲しい一心でした。しかしシルビアはそんな状況にあった私のためにたくさん一緒に祈ってくれて、彼女自身の証や聖書の読み方、そして聖書のわからない部分などを教えてくれました。彼女は教会にもたくさん誘ってくれて、やっと「神様に心を向けてみようかな」と思い始めていたのですが、教会に行き神様の存在を感じるたびに、何かが(今思えば自分のプライドやら敵やらが)「信じてはだめだ!」と言っているような気がしてなかなか前に進めませんでした。しかしシルビアも諦めることなく私に根気強く福音を伝えてくれ、誕生日プレゼントにバイリンガル聖書をくれたりもしました。それをもらった当時はあまり喜べませんでしたが、今ではその聖書を毎日穴が開くほど読み、御言葉によって生きることが出来ています。シルビアには本当に感謝しています。

 このようにしばらくは「信じたいけど信じられない」という時期を経たものの、姉達や教会の人々が根気強く私に福音を伝え、祈ってくれたおかげでやっとイエスを主として受け入れ、2019年の8月に洗礼を受けました。

 神様がいない人生から神様のいる人生へシフトするのは簡単ではなく、受け入れるのにはすごく時間がかかりました。しかし幾度となく拒絶を繰り返しても、天の父はあきらめずに心のドアをノックし続けてくれました。「心のドアをノックしてくれた」というのは、私がどんなに「理解できない、もう聞きたくない」と耳をふさぐことがあっても、神様は姉達を通して、また姉が住んでいるニュージーランドや留学先のドイツ、現在通っている東京のエブリネーションチャーチの兄弟姉妹を通して、私に語り続けてくれたということです。そしてもし彼らが忍耐強く福音を伝えていなかったら、私は今全く違う人生を歩んでいたと思います。神様を受け入れるのに時間がかかった分、今は神様の寛大さや忍耐強さ、そして何よりもその大きな愛を感じています。

 今では、自分の持っていた人生観を捨て「神様が私にとって一番良い計画を持っているということを確信し、神様の目的と栄光のために生きていこう」と決心しています。たくさんの時間をかけて聖書を読むようになり、教会の人と「人生を共にする」機会も増え、神様と神様の計画をもっと知りたいという情熱が、今までにないほど燃え上がっています。

 そして今は、母親の救いのために祈っています。母も私達同様、前までは無神論者でしたが、私達姉妹3人の変貌を目の当たりにして「神様の存在を認めざるを得ない」と信じ始め、現在では「神様はいつも私と一緒にいてくれる」と毎日言ってくれるまでになりました。本当に神様の奇跡だなと感じます。これからもみんなが私に伝え続けてくれたように、私も母親に福音を伝え続けようと思います。みんなも一緒に祈って下さい!

 そして私の祖父母のためにも祈ってください。コロナで訪問が出来ないので手紙でやり取りをしているのですが、そこに福音についてたくさんのページを使って書いています。神様が彼らを救ってくれることを信じています。

 これを読んでくれている方々の中にも家族がまだ救われていないという人がいると思います。あなたへのメッセージはこれです。あきらめないで神様を信じましょう!私も長年心を固くしていましたが、姉たちがあきらめずに教会に誘ってくれたり福音について語ってくれたりしたおかげで、神様に向いてみようと思うことが出来ました。希望が見えなくても神様は働いています。

「愛はきわめて忍耐強く、親切です。」コリント人への手紙I 13:4

 神様は愛であり、そして私たちをとっても愛しているからこそ、私たちが神様のもとへ来ることを忍耐強く待っておられるのです。

◇長根山 千恵子