宣教

なぜ「行く」のか?

ヨーロッパと聞くと、華やかな風景のパリやロンドンを思い浮かべ、ヨーロッパでの素敵な生活を夢見る日本人も多いはずです。一方、ルーマニアで育った事以外、自分には日本を離れる理由が特にありませんでした。

現在、妻と二人でルーマニアに移住してから2年以上の月日が経った事を思い出し、この投稿を書いています。そして今回はその経緯を、皆さんに分かち合いたいと思います。

私と妻はそれぞれ東京にある知名度の高い大学を卒業し、フルタイムの仕事に就いた後、結婚しました。結婚後は、都内でお気に入りの公園の真向かいに建つアパートに住み、個人的にはとても満足に暮らしていました。そして友達や教会の仲間にも囲まれ、日本での生活は確実に整い始めていました。むしろこのままずっと、安定した生活が送れると他の人には映っていたかもしれません。では、なぜ私たちはその生活を犠牲にしてまで、住む場所のあてもない、親しい友だちもいない、更には将来さえも予測できない土地へ移住する決断をしたのでしょうか。

それは、神様が「行きなさい」と召されたからです。そして私たちは、従順の心で受け入れ、それに従ったのです。持っていたもの全てを手放し、親戚や友達を置いて日本を離れる事を考えると、正直なところ不安でいっぱいでした。でも、周りにどう思われようとも、キリストから与えられた人生を神様のために生きると私は心に決めていました。お金や完璧なキャリアは神様が与えてくれる良いものですが、やがて消え去ります。そのためだけに生きるのではなく、永遠なるイエス(福音)について多くの人に語ることこそが人生の目的ではないでしょうか。

さて神様は、この決断を通して知らず知らずのうちに、想像を超えた冒険へと私たちを導いていたのです。信仰を持って一歩ずつ踏み出す度、神様はその先で必ず私たちを迎えてくれました。神様が与えてくれた奇跡のような経済的備えや機会の数々は、この投稿では伝えきれません。また、ルーマニア人との交友関係も与えられ、その中で福音を伝え、彼らがイエスに立ち返り信仰を置く過程を見ることは一番の喜びです。

信仰ゆえに従わなければ、このような経験を味わう事は決してなかったでしょう。宣教の召しに応える者のために、神様はとっておきの冒険を用意しているのです。

パンデミックの中での宣教

イエスは弟子たちに、エルサレム、ユダヤ、サマリア、更には世の果てにおいて、自身の証人となると確かに言われました。それではパンデミックで移動の困難が続く今、全世界を対象とした宣教は一体どのようにして叶えられるのでしょうか。

実は宣教の使命を果たすのに、飛行機に乗る必要は必ずしもありません。この状況下、神様が心に示した特定の人に手を差し伸べる事は「行く」事と等しいのです。それは、身近なところで近所の人や地元のスーパー、通学するキャンパスや勤務先かもしれません。その上、オンラインでもオフラインでも、今はメッセージ1つで会う予定が立てられる便利な時代。皆さんが手を差し伸べた一人を通して、神様はその家族の心にも触れ、次の世代に変革をもたらし、やがてそれは国全体へと広がります。私たち一人一人が福音を伝えると、国そして全世界を変えることができるのです。

エブリネイション教会が宣教を大切な価値観の一つとしている事に、感謝しています。キリストに従う中で、近所の方や仕事仲間、クラスメートやまだ出会ったことのない人のため、神様の「ミッション(宣教の召し)」を受ける機会が与えられるのです。もちろんいずれ、神様は皆さんをこのミッションを受ける者とするでしょう。それは想像を超える冒険であり、これまでにない祝福が待っているはず。そして何より、皆さんを通して国々が祝福されます。さぁ、神様のために行けますか

◇ 高木雄二郎