家族に差し込んだ一筋の光 No.2

姉の綾子が信仰に導かれた時、既に神様による私達家族の救いの計画が始まっていました。

 今から約8年前、姉がインターナショナルな教会に行き始めたと聞いた時、「英語の勉強の延長かな。頑張って。」というくらいにしか受け止めていませんでした。けれども、姉が教会に通い始めてからは、みるみるうちに姉の生活や言動に変化が表れ、表情も別人のように明るくなりました。それは単なる表面的な変化ではなく、内側から丸ごと生まれ変わったかのようでした。

 遂には、当時姉が抱えていた、様々な治療法を試しても中々効くことがなかった病も嘘のように良くなっていきました。その奇跡の過程を傍で見ていた私は、「これは人間の力では絶対に成し得ない何かが姉に働いたんだ」、「何かはわからないけど、姉は確かな答えを見つけたんだ」と思わざるを得ませんでした。

 それからしばらく経ったある時、私はある出来事がきっかけで悲しみと絶望で一杯になり、姉に泣きついたことがありました。幼かった頃以来、姉に泣きついたことなどなかったのですが、その時は何故か、姉から何か言葉がもらえると感じていたのかもしれません。その時姉は、私の頭を撫でながらこう言いました。「神様はありのままのももたん(桃子)を愛してるんだよ。ももたんのために死んでくださったほどに愛してるんだよ。」他にも多くの言葉を掛けてくれましたが、この言葉をよく覚えています。

 内心、「なんか話が逸れてる…」と思いましたが、私以上に私のことをよく知っており、私のために命を投げ出すほど愛してくれる方がいる、という感覚がとても不思議で新鮮でした。また、悲しみで一杯だった胸が、すっと軽くなったのを覚えています。そしてその時から、「愛でいっぱいの神様が、綾子の人生をここまで変えたのかな。」と感じるようになりました。

 そこから私も、毎週ではありませんでしたが、姉と妹と一緒に教会に行き始め、教会のメンバーとの交わりを心から楽しんでいました。姉と同じように彼らからも、イエス様のような見返りを求めない深い愛情を感じたからです。

 そして、賛美の時間、ワーシップソングを聞いた時、歌詞の意味はよく理解できなくとも、胸に強く迫るものを感じ涙が溢れることがしばしばありました。私は少しずつ、姉が言う神様の愛を、教会のメッセージ・賛美・人々から感じるようになり、「きっとここに人生の答えがある。」と思うようになりました。

そしてある時、教会家族と姉と共に祈り、イエス・キリストを救い主として受け入れることを決心しました。

 私が信仰に導かれるまで、姉は周りの教会家族の方々と共に長い間必死に私の救いを祈っていたという話を後々聞きました。そして今度は私が妹や父母のために祈る番となり、2年前には妹も救われました。

 次は、母が救われる時であると信じています。母は、私たち三姉妹が神様を受け入れてから劇的に変化したのを目の当たりにしているので、そのこと自体が母への大きな伝道となっています。

 また、コロナ禍で家族の時間が増えたことがきっかけで、姉妹で力を合わせて(姉はニュージーランドからビデオ電話で)母へ積極的に福音を伝えることができています。そして既に様々な場面で神様は母に奇跡を起こしています。

 これからどんな形で母が神様に出会い、神様と一緒に歩んでいくのか、それがとても楽しみです。一人の救いの背景には必ず誰かの祈りがあります。今、同じように家族の救いを祈っている方々がおられると思います。

 決して焦らずに、そして、決して諦めないでください。

 既に皆さんの存在自体が、神様の愛で変革された皆さんご自身が、ご家族への大きな伝道となっています。どれだけ時間がかかっても、回り道をしても、何一つとして無駄なことはなく、神様は全てを益とされ(ローマ人への手紙8:28)、それぞれの救いの時を用意されています。

そして、言葉が必要な時があれば、語るべき言葉を語るべき時に聖霊様が与えてくださいます。(ルカの福音書12:12)

 家族の救いのために祈っている皆さんが、家族の光として一層輝き、ご家族が皆さんを通してイエス・キリストを体験し、出会う日を共に待ち望み、絶えず祈りましょう。(私の母の救いも共にお祈り頂けますと嬉しいです。)

◇長根山 桃子